相撲

千代の富士の全盛時代が始まる頃の記録です。
今の九重親方の強さはまさに鋼の様な強さでした。
水を吐き出してる写真を撮ったとき後ろで半分隠れている高見山が
どすどすと近づいて来て大迫力のたどたどしい日本語で注意を受けた。
とにかく若い頃は正面からぎりぎりまで写真を撮っていた。
相撲界は規制が多くややこしい世界だったが自己規制する事なく注意される時まで
ぎりぎりまで撮っていた。
相撲の真の姿は稽古にあるかもしれないと感じた。
体の大きさより筋力と気迫で相撲を取る姿は感動的でした。
それが戦う男の精一杯の生き方だった。そこでウルフと呼ばれる様になった。
体の小ささを二重三重の筋肉を重ねる事で克服した、その孤独な努力。千代の富士は自分で千代の富士を創った。
本取り組みは運不運があり勝敗は分かれる。しかし稽古は気迫と実力の世界だ!
ここでつぶしておく事が肝心でまさに千代の富士の気迫は他の者を圧倒していた。

そこに絡む若島津、朝潮。そして最大のライバル北天佑。
千代の富士と北天佑の戦いは迫力満点、北天佑が糖尿病に冒されるまでは互角。
北天佑の弟が千代の富士の稽古についてゆけず一部ではしごきと報じられた事もありいろいろな因縁もあり鬼気迫る物があった。 
残念ながら北天佑は45歳の若さで2006年に他界した。

そんな相撲界にあって富士桜の明るくイキのいい相撲は良かったな〜
この時の横綱は北の湖関。